10月10日はまぐろの日!
毎度お世話になります!
山の中の回転寿司 まぐろやの西です
10月10日はなんの日かご存知ですか?
以前は、1964年に東京オリンピックが開催された
その開会式が10月10日だったことから
それを記念して10月10日が「体育の日」に制定され、
1966年から国民の祝日なりました
ですがその他に
10月10日は「まぐろの日」でもあります!
あまり知られていないと思いますので
では!なぜ?「まぐろの日」なのか
書いていきます!最後でお付き合いをお願いします
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まぐろの名前の由来
まぐろは回遊魚の中で一番有名な魚です
「鮪」の字は「魚」に「有」と
書いてあります
この「有」=”どでにでもいる”と
言う意味から
魚へんに「有」でどこにでもいる魚
そして、常温で時間が立つにつれ、魚体が「まっくろ」になることから
「まっくろ」→「まくろ」→「まぐろ」になったと言われています
文化7年ごろ(1811)には伊豆・相模方面で「まぐろ」が大量発生したそうです
その数なんと!1日あたり1万尾!
今では考えられませんが、体長が1メートルくらの大きさだったようです
大変な量のため様々な形で流通して人々の食生活にも浸透していったそうですが
本来、寿司は保存させるために出来たもので、ネタは「酢」で締めていました
ですが、まぐろは「酢」で締めると色が真っ白になり、見栄えも悪くそこで
まぐろにお湯をかけ「湯引き」してそれを醤油に漬け込む方法をとりました
これが、今の「ヅケ」と
言われるものです
今では、まぐろは寿司では欠かせないネタですが、江戸時代、まぐろは「猫またぎ」と呼ばれていました
「猫が見向きもしない下魚」
理由は、大量に獲れて保存がしにくい魚で、大トロは誰も食べないから捨てられていました
(文献 「読む寿司」河原一久)
10月10日と山部赤人(やまべあかひと)
10月10日の日に、奈良の大仏を建立したことで有名な聖武天皇のお供で
歌人「山部赤人」(やまべあかひと)が兵庫県の明石地方を訪れたときに
まぐろ漁で栄えているこの地方をたたえた歌が「万葉集」に残っています
「まぐろ釣ると海人船散動き塩焼くと・・・」
歌を読んだ10月10日にちなんで日本鰹鮪漁業共同組合連合会が
10月10を「まぐろの日」に制定しました
まぐろやの
「まぐろづくし」
写真は、まぐろやの「まぐろづくし」
税込み1408円となります
南マグロの中トロや、当店人気「伊達まぐろ」の中トロ・赤身を使った7貫盛りです!
この、「まぐろづくし」は熊本の朝のテレビでも紹介されました!
伊達まぐろとは?
生産地宇和島はかつて伊達藩の城下町でした伊達政宗の長男伊達秀宗が初代藩主として
10万石を拝領して宇和島に入城しました。宇和島の養殖本まぐろは、まさに豪華で粋・その味は魅力に溢れています。宇和島で24ヶ月以上育成された本まぐろのみに許されたブランドです。
伊達まぐろは養殖の本まぐろです!
この伊達まぐろの最大の特徴は、まぐろの部位がハッキリと区別出来るところ
今までの養殖の本まぐろは、全体に脂が周りすべてが「トロ」でした
なので、脂がしつこく天然モノにはほど遠い代物であまり人気がありませんでした
ですが、近年の養殖技術の向上により餌へのこだわり・飼育方法の改善がなされ
流通経路も空輸が可能になり、鮮度も以前と比べて格段によくなっています
この「伊達まぐろ」を発送する際には
生簀(いけす)より水揚げし、活き締めをして、船底の氷の倉庫にいれますが
その作業は2分と決められています
この時間が鮮度の良し悪しに影響します
活き締めして梱包するまでの手際の良さは”職人ワザ”です
生産者の愛情たっぷりに育てられた「伊達まぐろ」是非食べて見てください
それでは!
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます!
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